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尾道市向島の塩田の歴史

 

古代から中世

 

向島の製塩の歴史は、縄文時代に遡ることができます。島の東部海岸沿いの「古江浜遺跡」では製塩土器が発見されており、古くから塩作りが行われていたことがわかります。平安時代には「宇多乃之萬(うたのしま)」として記録され、中世には「歌島荘」として荘園が形成されました。この頃、塩作りは盛んに行われ、塩を年貢として納めていました。

 

江戸時代

 

江戸時代に入ると、尾道周辺地域では塩田が発展しました。特に向島では、天満屋治兵衛が開発した富浜塩田が有名です。これは、延宝五年(1677年)に広島城下の豪商が向島の大潟に塩田を開発したものです。この塩田は、効率的に塩を生産するために整備され、地域の経済に大きく寄与しました。

 

明治時代以降

 

明治時代になると、近代化の波が向島にも押し寄せ、塩田の技術や運営方法が進化しました。しかし、戦後の化学工業の発展により、伝統的な塩田は次第に廃れていきました。向島の塩田も例外ではなく、現在では塩田は全て姿を消しています。

 

現在の向島

 

現在、向島に塩田は残っていませんが、その歴史は地域の文化として語り継がれています。